こんにちは! OSAMUです! 楽しく英語ライフしてますか?
今回は、日本語でよく耳にする「ダメ」という表現についてです。
これは、それぞれの文化的背景が見えてくる表現だと思います。
英語で「ダメ」はなんというか
英語で日本語の「ダメ」に当たるのは、例えば
suck
という動詞(スラング)があります。

これは、「イケてない」とか、場合によっては「クソ」ということのようです。

この suck は、私たちノンネイティブは、不用意に使わない方が無難な言葉だと思います。
また、なにかモノゴトが機能しないという意味の「ダメ」なら、
It doesn’t work.
でいいでしょう。
ただ、正直、個人的な見解として、人に向けて使われる日本語の「ダメ」のような汎用的な英語は、ないのではないかという気がしています。
つまりは、文化的な背景を多分に含んでいるのが、日本語の「ダメ」のように、私は思ったりします。
そもそも、日本語の特徴として、英語に比して、ネガティブな言葉が実に多い印象があります。
これは、日本人として、とても残念なことに感じます。
その代表格が「ダメ」ではないかと私は個人的に感じているのですが。
第一に、言葉が印象として強すぎます。
拒絶のニュアンスが非常に強いように感じます。
たしかに、英語に No という言葉があります。
ですが、これは good or bad や right or wrong つまりは、単純によいか悪いか、正しいか間違っているか、もしくは、true or false 真実か虚偽か、のような、二者択一の中での No という気がします。
ところが、日本語の「ダメ」には、有無を言わさず、「絶対的にダメ」みたいな強さを感じてしまうところがあります。
英語でいえば、”Absolutely, NO!!!” みたいな感じでしょうか。
これって、日常で頻繁に使われるにしては、ちょっと意味が強すぎるように感じるのは私だけでしょうか。
特に、「ダメ」が人に向かって使われる際には、もうその人の全人格さえ否定されてしまうかのような強い響きがあるように感じます。

日本文化には「言霊(ことだま)」という思想があって、それぞれの言葉には霊性が宿っている、といった考えがあるわりには、こうした強いネガティブ・ワードが日常的に使われているのは、正直残念なことだと思っています。
「だから、あんたはダメなんだ」を英語でどう訳したか
一つ例を挙げますね。
私は翻訳関連の仕事もしているのですが、先日、一瞬どう訳そうか迷った表現がありました。
「(そういうことをしてるから)だから、あんたはダメなんだ」という日本語の表現を英語に訳す場合でした。
私はこれを、
That’s the silliest thing to do.
と訳しました。
これもそれなりに強い表現ですけども、A氏とB氏という親しい間柄の人たちの会話の中でなので、これを使いました。
ご覧の通り、私はここで、you are … という表現は用いませんでした。
その代わりに、その人の行為(act もしくは behavior)に焦点を当てる形をとったのです。
往々にして、英語はこうした発想である場合が多いからです。
英語文化では、個人(individuals)の independence や dignity というものが、非常に重んじられます。
そうした中で、なんの権利があって、他人の人格まで否定するのか、という話になりかねないと思うわけです。
日本語でも、「罪を憎んで人を憎まず」などといいますが、悪い(間違っている)のはその人の行為であって、その人の人格とは必ずしも関係ない、というのが英語文化の理解であり発想なのではないかと私は思うわけです。
議論などでもそうで、英語文化では、ある主題(subject)において、true or false について議論がおこなわれるように思います。
日本では、correct or wrong を越えて、morally good or bad 、さらには、その人全体の否定にまで発展することが少なくないように私には思えるのです。
発言(statement)は発言であって、ただそれだけです。
人格がどうこうの問題では必ずしもないわけで、自分の意見が間違っている(incorrect)なら、それを正せばいいだけです。
車で道を走っていて、道を間違えたなら、正しい道に戻るでしょう。
道を間違えただけで人格まで否定されることはないはずです。

議論で容易に人格否定にまで発展するとしたら、それはもう議論ではないと思います。
wrong と in the wrong
受験英語でも取りざたされるものに、wrong と in the wrong の違いがありますね。
たしか、
「wrong は、その人の言っていることが間違っている場合」
「in the wrong は、その人が本当に悪である(wicked/vicious)場合」
のように習った気がします。^^;
意味を確かめてみましょう。
wrong adjectivenot correct-Cambridge Dictionary-
in the wrong
responsible for something bad:
- We had a green light, so she was clearly in the wrong when she hit us.
-Cambridge Dictionary-

やはり、日本語の説明でなく、原典に当たっておくのが正解のようです。^^;
no good とはどういう意味か
英語に no good という表現がありますが、これも「ダメ」とはニュアンス的に異なるようです。
ちなみに「NG」は、no good の略(abbreviation)だとされますが、和製英語のようなので念のため。
ついでですが、「NG集」は blooper という言葉があります。
また、「NGになる=ボツになる」ならば、
The suggestion was rejected.(その提案はボツになった)
のように、reject が使われるようです。
no good の意味を確認してみましょう。
no good
informal old-fashionedmorally bad: I’d keep away from him if I were you – he’s no good.
-Cambridge Dictionary-
no good はインフォーマルな表現で、しかも old-fashioned 、つまり、古臭い言葉だということですね。^^;
意味としては、「道徳的によくない・正しくない」というような意味です。
例文は、「私があなたなら、彼には近づかない。あの人はモラル的によくない」ということですね。
「道徳的に」という限定がついているのが、半ば無差別に使われる日本語の「ダメ」とは違うところではないでしょうか。
英語でなにかに同意できない、と表現する場合は、その「人」に同意できないのか、「行為」に同意できないのかをシッカリ区別するほうがいいように思えます。
そして、日本語ではただ「ダメ」の一言ですまされてしまったりしますが、きちんと理由を述べるのが英語の発想ではないかと思います。
つまり英語の発想では、
「なにに・誰に」「どういう点において」同意できないのか、そしてその理由はなにか
といったことをトータルに含んでの「同意できない」だと私は感じるわけです。
先ほどの morally などが、「どういう点において(in what respect)」に当たると思います。

そして、英語の発想では、「同意できない」といっているだけであって、相手の人格否定までは含んでいないところも、「ダメ」とは違うところだと思います。
「あの子は勉強が苦手」を英語でなんというか
もう一つ例を挙げますが、例えば「あの子は勉強が苦手」という場合、英語では
He’s bad at studying. よりも He’s not very good at studying. の方がよく聞かれる気がするのも、英語の持っている寛容さ(generosity)や思いやり(kindness)であり、positiveness である気が私はします。
さらに、
He’s a slow learner.
のような表現が、私は好きです。

ダメな子なんかいない。いるとしたら、大人がダメにするだけ。
私もそう思ってますしね。
要は、その人の持っている potential(もしくは potentiality)を否定しない、ナイスな表現だと思うからです。
私がいつも思うのは、learner of English の一人として、英語の持つこうしたポジティブさから、大いに学びたいということです。
I hope to learn a lot from the positiveness of the English language as a learner of English!
私が常々思うのは、英語を学ぶ際に最も重要なのは、発音や単語の数や表現や文法ではなく、
発想(idea)
ではないかと思っています。
日本人の英語がネイティブに通じにくいのも、上記のような要素だけでなく、発想が違うから、ということも、多分にあるように感じます。
つまり、日本語の発想で英語を話すから、相手はなにをいっているのかがわからない、という具合にです。
なので、英語を学ぶ際には、こうした英語の裏にある「発想の違い」を一緒に学んでいくべきだと思いますし、それもまた、外国語を学ぶ楽しさのひとつではないかと思います。
私が思うのは、相手を人間として扱う、ということではないかと思うんですよね。

日本語の「ダメ」は、往々にしてそのへんが欠けているように、私は感じるわけです。
人間として扱うというのは、例えば英語文化圏では、子どもも一人の人間として扱う傾向が、日本よりもはるかに強くあると思います。
そういうことですね。
「ダメ」という言葉には、いつも親が未熟な子どもを叱りつけるような響きがあるのを私感じるんです。
でも、そういう言葉がまかり通ってしまう社会というのは、それこそ未熟な社会ではないかと私は感じてしまうんですよね。
なので、せっかく英語を学んでいる我々は、英語文化から、そうした社会の maturity といったものも、学んでいったらいいのではないかと私思います。

Let’s have fun with English!
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